~ 悪いことなんかしていない ~ 2
「若島津」
情事がどのように始まるかなど決まっていない。どちらかがしたければ相手を誘い、それをもう片方が了承すれば始まるだけだ。
部活を終えて寮に戻ってきて、ようやく寝る準備を終えたところだった。自分のベッドに入ろうとする若島津を日向が呼び止めた。
日向が何を望んでいるのかは、その触れてくる手の熱さからも、濡れたように光る目からも、若島津なら容易に推し量れる。欲情している日向は、通常よりも体温が上がって瞳が潤むのが常だったから。
だがまだ、昼の騒動から半日も経っていない。結局あの後、十和田と有島は教室には戻ってこなかった。
「日向さん。・・・今日、したいの?できるの?」
「何だよ。まさかお前、昼間のこと気にしてんのか?」
「まあ・・・してないって言ったら嘘だよね」
仲のいい二人だとは思っていた。十和田はバレー部、有島は地学部という全く異なる部に所属し、クラスも違えば寮生でも無い。
それでも二人で一緒にいるところを若島津もよく目撃した。それほどに気が合うのだろうと思っていた。
だがそういった関係だとは気が付かなかった。もしかしてよく観察したなら察知できたのかもしれないが、そもそも若島津はそれほど他人には興味が無いうえに、暇でもない。他人の秘密など別に知りたいとも思わない。
ただ「前から噂はあった」と言われていたのが気にはなった。
それなら と、若島津は考える。
ならば日向と自分はどうなのだろう。そんな雰囲気を醸し出しているのだろうか? 、と。
気にしていないといったら嘘 と答えてから黙り込んでしまった若島津を、日向はベッドに押し倒した。そのまま若島津の腹の上に馬乗りになる。
いきなり上に乗られて若島津が目を見開くが、抗議の言葉を吐く間もなく、すかさず日向に唇を塞がれた。それは日向らしく乱暴で噛みつくようなキスで、稚拙ではあったが、熱烈な求愛だった。
若島津は唇を軽く開いて、侵入しようとしていた日向の舌を迎え入れた。更にもっと奥へと引き込んで、自身の舌で熱くて柔らかな感触を楽しむ。
自分の咥内にいる日向を堪能すると、今度は自分が日向の口の中に入る。頬の内側や上あごの裏などをくすぐるようになぞれば、日向が鼻にかかった甘えるような声を出した。
ひとしきり日向の好きなようにさせて、同じように自分も好きなだけ日向を貪る。
やがて満足したのか、日向の方から離れていった。馬乗りの体勢は変えずに上から見降ろしてくる日向と目が合うが、その顔は笑っているわけでもなく、怒っている風でもなかった。ただ頬を上気させ、欲に濡れた目を眇めて自身が組み敷いた男を眺めている。そんな表情が妙に蓮っ葉に見えて、若島津はドクリと劣情を刺激された。
「揺らぐなっつったろ」
「揺らいではいないよ。あんたが好きだっていうのは、どうしたって変えようがない。ただ・・・」
「ただ?」
「・・・怖い、とは思った。あんたとの関係を他人に知られたら、あんな風に興味本位で下衆に囃されるってことがよく分かったし。それにもしかしたら、誰かに・・・大人たちにアッサリとあんたを取り上げられるのかもしれないって。それが怖い」
「他人に何か言われるくらい、別に関係ないだろ」
「俺が言われる分にはいいよ。だけど、あんたがどうこう言われるのは・・・耐えられそうにない。十中八九、手や足が出るよね。下手すれば俺、傷害や暴行で捕まるかも」
「てめえは意外に短気だからな」
若島津はあくまでも真面目に話しているのだが、日向は「お前らしいや」と言ってクスリと笑った。
「それは譲歩して我慢できたとしてもね。あんたと引き離されるのだけは絶対に耐えられない。・・・日向さんは?平気なの?・・・俺は無理だよ。自分でもどうなるか分からない。昔だったら、それこそ東邦に来る前だったら、あんたを遠くで見守るだけの人間にもなれたかもしれない。だけど・・・今はもう駄目だ。手放せないよ」
一度手にした宝物を失うなど、考えられる筈もなかった。
自分は業の深い人間だと若島津は自覚している。親や学校の庇護下で生きている身でありながら、その誰を傷つけるとしても日向を諦めることはできない。日向ただ一人と、他の人間すべてを天秤にかけたとしても、どう傾くかは若島津にとっては確かめるまでもないのだ。
「今更、あんたのことを離してあげられない。・・・あんたは?男同士がどうのって言われても、後ろ指さされても、耐えられる?それこそ、家族にだって・・・おばさんや尊たちにだって白い目で見られるかもしれないんだよ」
日向は思案するように視線を上に向けた。だがそれは、ほんの寸秒のことだった。
「構わねえな」
「日向さん・・・」
日向は変わらず若島津の腰に乗り上げたままで、不敵な笑みを見せる。
「別に法に違反している訳じゃねえだろ。何が悪いんだよ。俺がお前が好きで、お前も俺が好きだってだけじゃねえか。性別がおかしいか?でもそれだけの問題だ」
「だけ、っていうけど。それが大きいんだよ」
「今時、同性でって別に珍しくはないだろ。そりゃ、比べてしまえばマイノリティではあるだろうけど。自分から狭めていく必要はねえよ。・・・いや、俺は別に男同士がいいって訳じゃねえけどな。お前が好きなだけだし」
「俺だってそうだよ。ゲイって訳じゃない。あんただから、男であっても好きなんだ」
「だろ?面倒なことになるなら、俺だって表立って言う必要は無いと思う。だけど、何も悪いことをしている訳じゃない。それで何を好き勝手言われたって、堂々としてろ。お前とこうしているのは、別に犯罪じゃねえよ」
「・・・あんたと話してると、時々悩むのが馬鹿らしくなってくるね」
「そうだろ。俺もお前と話してると、時々馬鹿らしくなるよ。何をそんなに悩んでんだよ、こいつ・・・ってな」
日向がニっと口の端を上げて笑うのにつられて、若島津も笑う。本当に日向はすごい。
だがそれでも、若島津は最後に念押しのように尋ねた。
「本当に、怖くないの?もしかしたら今ここで俺を切っておかないと、あんたの人生が変わるかもしれないよ。どんなスキャンダルがアスリートとしてのあんたを潰してしまうか分からないんだからね」
「例えば高校の寮で同室の男と寝ているとか?」
「そう。誰かに撮られてネットにでも流出したら、一発レッドだね」
日向は不満げに鼻を鳴らした。
「『もしかしたら』なんてハッキリしねえことで、お前のことを放すもんかよ。・・・お前、俺のこと甘く見てんじゃねーの? ”俺”がお前がいいっつってんだよ。誰にも文句は言わせねえよ。スキャンダルって何だよ。んなもん、潰されないくらいの実力があればいいんだろ。何度も言うけど・・・別に法を犯している訳じゃねえ」
「・・・男前だね、日向さん。惚れなおすよ」
やんちゃだった子供は、この数年の間にそれこそ血の滲むような努力を重ねて、それに見合うだけの結果を手に入れた。今ではすっかり精悍な顔つきの青年となり、時折こうして自信に裏打ちされた傲慢さを覗かせる。それがまた色気すらも漂わせていて、本人は自覚がないかもしれないが否応なく周りの人間を惹きつけていた。日向は時間を無駄にすることなく、着実に大人の男へと成長している。
誰彼かまわず噛みつくことが無くなったことで『牙の抜けた虎』と評されたこともあったが、そうではないと若島津は知っている。他人よりも自分に厳しい人だからこそ、余裕が出てきた今、むやみやたらと牙を剥く必要がなくなったのだ。
だが、やはりこの男の本質は肉食獣だ。しかもどうやら飢えているらしい。
覆い被さってきた日向に耳朶を齧られ、吹き込まれた言葉に若島津は声を上げて笑った。
「やんのか、やんねえのか。そろそろはっきりしろよ。・・・つーか、お前が何て答えても今日はやるからな」
「んぅ、んっ、・・・あ、あ・・っ、っふぁ、・・・・あ、もっと・・っ、・・ぅん、・・・アアッ!」
若島津が腰を緩く動かせば、足りないとばかりに日向が下半身を押しつけてくる。それに応えて深く穿つと途端に日向の唇から一際高い嬌声が迸った。
「日向さん、・・・ん、気持ちいい、ね・・っ、俺、すごく、いい・・・っ、日向さん、は・・・っ?」
「あ、・・うあっ、ああっ、い、いいッ、い・・あ」
追い上げる律動は変えずに、手と唇、舌など使えるものは全て使って日向の全身を愛撫する。時折肌の柔らかい場所を強く吸い上げると、体を震わせて日向が歓ぶのが分かった。
「・・・日向さん、熱くて・・っ、中にいる俺の方がっ、溶けそう・・っ」
「あッ!・・・はぁッ・・う、あ、あ・・・や、あ・・んんッ!」
抱いている若島津も抱かれている日向も、ともに感じているのは強烈な快感だった。
相性がいいのは性格だけじゃなくて身体もそうであったことは、予想外で喜ばしいことでもあったし、すごくラッキーだったと若島津は思う。いつまでもこうして日向を抱いていたいくらいだった。
「あっ!・・・も、もうイ、ク!・・や、まっ・・、いれ、たいっ!・・や、おれっ!いれたい・・っ!」
「また言ってる」
若島津は忍び笑いを漏らした。このことであまり笑っているのがバレると、後で日向がきっと怒り出す。
時々、こうして日向はセックスの最中に「いれたい、いれたい」と声を上げる。自分が抱かれるだけじゃなくて、若島津のことを抱いてみたい、と言っているのだ。初めてそうと知った時は困惑したが、嫌な気持ちはしなかった。ただそうやって強請ってくる日向を愛おしいと思っただけだ。
おそらくは身体の欲求として自分を抱きたいというよりは、自分の全てをそのまま欲しいと思ってくれているのだろうと、若島津はそう理解している。自分が日向を丸ごと欲しいと思うのと同じことだ。
「お前の初めては絶対に俺が貰う」と言われたこともあるが、それはそれでいい。いつかその時がくれば、そうなっても構わない。
そもそも最初に身体を重ねるとなった時、一応はどちらがどうするかなどを話し合って決めた。単純に向き不向きもあるだろうからとお互いに触り合って試してみたところ、若島津よりも日向の方が受け入れ易かっただけの話だ。
だが日向が了承しなかったなら、こうはならなかった。意外にも日向はどちらになるかといったことには頓着せず、自分が抱かれるという状況にもすぐに慣れた。そして自分の腕の中で気持ち良さそうにしている日向を見れば、若島津もやはり嬉しかった。
「あ・・・あぁっ!もうっ!イ、ク・・ッ!・・ん!ンンッ!」
「いいよ、イって・・。もう、俺、も・・・っ」
若島津は熱い体を抱き込んで、首を振る日向の頬を両手で挟んで押さえた。日向の全てを欲しい、何一つ取り零したくないのだとでもいうように、唇を塞ぐ。そのまま最奥を強く突くと、日向が堪えきれずに絶頂に達した。
上げられた悲鳴すらも呑みこんで、若島津も日向の中でようやく果てた。
腕で顔を覆って荒い呼吸を整えている日向は、まだ悦楽の名残にあるようだった。しっとりと汗ばんだ胸に若島津が指先で触れると、小さく震えて反応する。
邪魔な腕を退かして、額にかかる前髪をかき上げてやる。あらわになった生え際に唇をすべらせて、滲んでいる汗を舐めとった。
「しょっぱい」
「馬鹿。・・・もう、舐めんな」
「んー・・・。もっとしたい。日向さんは?満足した?」
「・・・明日があるだろ。早く寝ろよ。・・・俺はねみいよ」
「そっか。・・・いいよ。日向さんは寝てて。俺、拭いてあげるから」
快感を得られるとはいえ、受け入れる日向の方が自分よりも身体に負担がかかっているだろうことは若島津にだって想像がつく。日向の寝つきがいいのは元々だが、こうして抱き合った後は、それにしても早すぎるほどにあっさりと眠りに落ちてしまうのだ。
「・・・お前、もう大丈夫か?」
「何が?」
「・・・何でもねー・・・」
若島津がとぼけてみせれば、日向はそれ以上に追求してこなかった。こういう点も日向の優しいところだ。だるそうに視線だけ寄越してくる日向の唇に、若島津は触れるだけのキスを与えた。
「おやすみ、日向さん」
「・・・おやすみ」
就寝の短い挨拶の間にも、日向の目は閉じていこうとする。若島津はその目蓋にも柔らかくキスを落として、髪をなでた。
日向と濃密な時間を過ごしている間に、夜はすっかり更けていた。朝練の始まる時間を考えたら、確かにもう寝ないと体力的に辛い一日となるだろう。いや、既にそのリミットは過ぎてしまっているのだ。
若島津は寝付いた日向を起こしてしまわないように、そっとその身体に覆い被さって、唇に頬にと口づけた。満腹になった肉食獣の安心しきったような寝姿は、この上もなく可愛らしい。他の何と引き換えにしてもいいとまで望んだ人だ。それが体を繋げるようになってますます愛おしくなった。
しかし得たのは幸福感ばかりではない。日向を大切に思えば思うほど、いつか失ってしまったら・・・という恐怖は大きくなった。まるで振子のように。
だが恐れの方へ振子が大きく揺れて振り切ってしまいそうになると、他の誰でもない日向自身が止めてくれる。それこそ今日のように。他の奴なんか関係ない、俺だけを見ていろ、と言って。
惚れた弱みなどではなく、人としても男としても、まだまだ自分は日向に敵わないと若島津は思う。
(それにしたって・・・”俺がいいって言うんだから、いいんだ”って・・・。子供かっつーの)
彼らしい俺様で乱暴な物言いに、若島津は笑みを禁じ得ない。
誰が発したかによっては反発しうる言葉でも、それが日向であるなら若島津には不満などある筈も無く、寧ろ清々しささえ感じた。
こんこんと日向は眠る。情交の後のしどけない姿と寝顔のいとけなさがアンバランスで、若島津は目を離せなくなる。
「もっとしたい」と日向に告げたのは偽らざる本音だ。無理をさせるつもりは無いから退いたけれど、時間さえ許すならいつだって触れていたいし、もっと繋がりたい。
日向に「綺麗にしてあげる」と約束したことを忘れた訳ではないが、目の前の誘惑は性を覚えたばかりの男子高校生に抗えるようなものでは到底なかった。
若島津は落ちてくる髪をかき上げて、夜目に晒されたしなやかな肢体の上にもう一度ゆるりと屈み込んだ。
END
2016.05.03
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